蘭室の友

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対創価学会

ある創価学会非活壮年部の本尊儀を破折する④

 非活壮年部:    あともう一点ですが、そもそも授与書きについては、御書の中で以下のものと書かれています。 「此くの如きの類い其れ数多なり故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり。」(富士一跡門徒存知の事 1606ページ)  また宗門伝来の相伝書でもある「御本尊七箇相承」においても「本尊三度相伝」においても、特段脇書については触れられていません。これはつまり御本尊の相としてはそれほど重要では無いという証左ではありませんか?  これを考えると、「脇書きの削除」について、本義的な部分の問題には当たりません。  まず 正当門流の相伝が無いからか 単なる無知なのか 引文した御文から授与書きがそれほど重要でないとの結論がどのように出てくるのやら。  この引文した箇所は 日興上人が 大聖人滅後 門下に与えられた御本尊様が多く不敬にされている現状を鑑みられ 授与書きの箇所について述べられた御文です。授与された人の高名のために 書かれたものであるとのことで、授与書きは重要でないとか、必要ないということを書かれたものではありません。  それに 彼は「授与書き」と「脇書き」と言葉を使っているが、彼に「授与書き」と「脇書き」の違いがわかるのでしょうか。「授与書き」と「脇書き」は、違うものです。それを 一色単にして使っているところなど軽薄の極み。  「授与書き」を削除したことを言いたいのか「脇書き」を削除したと言いたいのかどっちでしょうか。  「授与書き」も「脇書き」もわからないものが 勝手な解釈で判断するとこのような妄説が出てくるのです。

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