元創価学会信者の邪難23
創価脱会 Blog
創価学会の本尊は、ニセ本尊と言えないとの主張。
その根拠として、「開眼」を持ち出してきた。
彼の主張は、開眼供養ができるのは日蓮正宗の法主だけだ。
だから開眼について語る資格があるのは、法主しかいない。
したがって一般信徒は開眼について知らないのだから開眼について語る資格がない。
語る資格が無い日蓮正宗信徒は、創価学会の本尊について開眼があるとかないとかいうことができない。
創価学会の本尊について、開眼について語れない日蓮正宗信徒は、開眼が無いことを根拠に創価学会の本尊をニセモノとは言えないというのが彼の主張。
「開眼をどのように行うのか」また「開眼を行う資格があるか無いか」という論点と「開眼があるかないか」という論点を同じレベルで混同している邪難者の主張。