創価学会

カルト信者の見本 参上!!

Yasushi

 

友人葬

 

昨日の創価学会公式サイトによる、

友人葬の根拠の噓をあばく記事に対する

現役創価学会員から

SNSにメッセージが届いたので紹介しよう。

 

違います。

「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」との仰せにある通り、

成仏は信心によって決まるのであり、葬儀のような儀式・儀礼で決まるものではない、

と教えているのが学会教学です。

 

 

論点が全くずれていることに自分でも気づいてないんでしょうね。

それにこの人 創価学会教学を論じることができる人なんですね。

創価学会教学部の方なんでしょうか?

 

僕は、

「成仏が葬儀で決まるなんて」

記事の中に一言でも書いてますかね?

 

創価学会員と対論していて感じるのは、

都合が悪くなると、論点になっているテーマから逃げて

関係の無いことに話をそらそうとするんですよね。

 

上記の記述なんてまさにそれ。

 

友人葬

 

 

もう一度論点をはっきりさせましょう。

 

創価学会の公式サイトでは、

葬儀に僧侶を呼ばなくてもいい根拠として、

 

「釈尊も(自分の)葬儀は、在家にまかせて、弟子(僧侶)は修行に専念せよ。」
と言っている。

 

あの釈尊でさえ、自分のお葬式に僧侶は必要ないと言ってるんだよ。

だから お葬式に僧侶を呼ばなくてもいいんだよと、

 

かように動画で説明しています。

 

では、

日蓮大聖人様の御葬儀には、大聖人様の弟子である僧侶が中心になって

とり行われているのはなぜなのか。

 

葬儀に僧侶が必要ないなら、なんで大聖人様の御葬儀を僧侶がおこなっているの?

 

また、末法の御本仏である大聖人様の葬儀において、僧侶が中心になっているのに

なぜ そのことを釈尊同様 会員に説明しないの?

 

ということなんだよ。

 

それに学会員が引文している 「上野殿後家尼御返事」から

葬儀に僧侶が必要ないという読み方がどうしたらできるんでしょうか。

 

かりに成仏は信心によって决まるとしても、

だからといって、葬儀に御僧侶を呼ばなくてもいいという

根拠にはならないでしょうに。

 

無理無理に御書の一節を自分の都合のいいように解釈したって

ダメなものはダメなんだよ。

 

御書の一節でも持ってくれば、カッコがつくと

でも思ったのかなー?

 

ABOUT ME
青木やすし
青木やすし
ブロガー/ web販売
昭和53年に日蓮正宗創価学会に入信・入会する。

小学校教師を勤めながら破門後の創価学会で男子部本部長のバリ活となる。
創価作成ニセ本尊の害毒に気付き脱会。

日蓮正宗法華講となる。

地元北海道はもとより東北・関東・四国から脱会相談を受けた創価学会員20名以上を脱会させ、日蓮正宗に帰伏させる。

札幌駅街頭折伏を10年以上続け、創価学会の害毒と日蓮正宗の正しさを訴える。

34年勤めた小学校教師を退職し、web販売で起業し現在に至る。
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