学会友人葬で僧侶をよばない根拠の噓
前回の記事で創価学会の友人葬では、なぜ葬儀に僧侶をよばないのか?
の質問に対して、
創価学会では、
釈尊も弟子(僧侶)に在家で葬儀を行うように言っていたから。
ということを根拠に挙げている。
だから、創価学会では、自分たちも僧侶をよばないんだよ。
何かおかしいですか?
ということなんだが・・・。
が、これは果たして本当のことなのか?
反論として、
では末法の御本仏日蓮大聖人様の御葬儀は、
やっぱり 葬儀に弟子(僧侶)をよばなかった。
まぁ 創価学会の主張としては、話の流れから当然そうなるわけですよね。
だって、そうじゃないと わざわざ釈尊の葬儀を持ち出してきた理由が
わからんでしょ。
釈尊も葬儀に僧侶はよばなかった。
大聖人様も葬儀に僧侶はよばなかった。
だから、創価学会の友人葬でも僧侶はよばないんだよ。
という説明をしたいんでしょ?
だけど そうじゃなかった。
あーあー 創価学会の噓がばれちゃった!?
日蓮大聖人様の御葬儀については、弟子の日興上人様が
「宗祖御遷化記録」を残されている。
もうこれを読めば、弟子である御僧侶が中心となって、
大聖人様の御葬儀がとり行われたことは明白。
あれっ?おかしいな?
葬儀に僧侶をよばないんでしたよね?
じゃあ なんで日蓮大聖人様の御葬儀には、
御僧侶が中心になって葬儀がとり行われたの?
いやーきちっと説明してほしいわー。
ちなみに「宗祖御遷化記録」は、現在 正本が
西山本門寺に所蔵されている。
もうね 歴史上この事実はくつがえせないのよ。
まさか 創価学会は、「宗祖御遷化記録」読んだこと無いの?
あぁ そうか 都合の悪い文献は、すぐに
全部 偽書扱いするんでしたけっね。
じゃあ 「宗祖御遷化記録」もニセモノ、
後世の人が勝手に書いたものだというのかな?
なら 歴史も何もあったもんじゃありませんね。
創価学会は。
と 本題からずれてきました。
これが、「宗祖御遷化記録」の葬送の次第ですよ。
とまぁ 大聖人様の葬列の次第が詳細に記されているわけですよ。
ちなみに、創価学会が僧宝と仰ぐ 二祖日興上人様の御葬儀も
「日興上人御遷化次第」に記録されています。
こちらの正本は、保田妙本寺に所蔵されています。
日興上人様の御葬儀も大聖人様と同じような葬送の次第であることが
詳しく記されています。
もちろん、日興上人様の御葬儀をとり行われたのは、
日興上人様の弟子である御僧侶ですよ。
ついでに、釈尊の葬儀についても少しふれておきましょうかね。
釈尊の葬送儀を詳述する大乗経典に「涅槃経後文」があります。
そこには、釈尊が涅槃に入るや、大地が振動した様子が説かれています。
さらに、釈尊の荼毘については「長阿含経」巻四所収の「遊行経」第二において
確かめることができます。
釈尊が入滅してから、供養の七日が終わり日が暮れてから、
荼毘のために釈尊の舎利に火をつけようとするが火が燃えずに、
しばらくして、摩訶迦葉(釈尊の弟子)が到着して、偈を説いた後
釈尊の身体は焼こうとしなくとも自然に燃え始めたと叙述されています。
このように、釈尊の葬儀においても、釈尊の弟子(僧侶)が関わっていたことは
経典に説かれているんですよ。
何を創価学会は、会員の無知を利用し、
わかったようなことを言って、自分たちに都合のいい話を作り上げているのか?
普通の創価学会員は、こんなこと 知りませんょ。
もちろん、教えられてもいませんしね。
幹部から 「釈尊も葬式に僧侶をよばなかったのよー!!!」
何て言われたら
一般の会員は、「そうかなぁー。」って信じちゃうでしょ。
創価学会の大噓って
ホントあたかも真実のようにして言うから
みんな コロッとダマされるんですよね。
やっぱり 創価学会の言うこと 鵜呑みにしちゃだめだわ・・・。
あなたは、そんな人じゃないですよね。
ちゃんと物事の道理をわきまえた人です。
創価の噓にだまされるような人ではありません。