突撃!日蓮富士門流札幌談所 鳥本雄行との遭遇Ⅶ~013
▽本門戒壇の大御本尊様を偽物だと言っているが、なぜ偽物だと主張するのか。
鳥本曰く、
「河邊メモは本当だ。自分は河邊慈篤師から直接聞いた。」
「河邊師は、俺は畳の上では死ねない。」と言っていたのは、(戒壇の大御本尊様が 偽物と言うことを言ってしまったから)このことだ。
では、そのことを実際に河邊慈篤師が言っていたという証拠はあるのかと問うと、
鳥本曰く、「ビデオがあるわけでなし、そんな証拠はない。」
つまり、河邊慈篤師が言ったか言わないか、誰も証明できないことなのだ。
ただ、鳥本が私はそう聞いたと言うだけ。
「死人に口無し」でお亡くなりになられた河邊慈篤師に確かめようがないわけ
で、鳥本が言う事だけを持って、本門戒壇の大御本尊様が偽物だと断定付ける根
拠は何もないのである。
メモを書き残した河邊慈篤師はこのように仰っている。これは、河邊慈篤師の公式見解である。
■私はこれまで、種々メモを残しておりますが、その方法は、見聞した事柄につき、後に回顧して書いたものが多く、その際、私の性格として、自分の主観に強くこだわり、その趣旨で書き記す傾向があります。
従いまして、今回の件における面談の折の記憶を喚起致しますと、当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納された『日禅授与の御本尊』が共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺ったものであります。
但しこの話は強烈に意識に残りましたので、話の前後を抜いて記録してしまい、あたかも御法主上人猊下が御自らの意見として『本門戒壇の大御本尊』を偽物と断じたかのごとき内容のメモとなってしまいましたことは明らかに私の記録ミスであります。
このような私の不注意による、事実とは異なる不適切な内容のメモが外部に流出致し、本門戒壇の大御本尊様の御威光を傷つけ奉り、更には御法主上人猊下の御宸襟を悩ませ、また宗内御一同様に多大の御迷惑をおかけ致しましたことを衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。(大日蓮 平成一一年九月号四頁)
と明らかに
「『本門戒壇の大御本尊』を偽物と断じたかのごとき内容のメモとなってしまいましたことは明らかに私の記録ミス」と仰っているではないか。
鳥本は、自分が尊敬する御尊師として、河邊慈篤師を取り上げていた。
これを否定するとは、河邊慈篤師は二枚舌を使って、御宗門を欺いたということを言いたいのか。
如何なのだ。
尊崇している御尊師と言っておきながら、一方では、嘘をついていたが如き言動を成すとは、河邊慈篤師に対して不忠儀とならないか。
自分が利用できるものは、例え尊敬する御尊師であっても利用しようと言うことか。
本人に確認のしようがない言説を根拠に、本門戒壇の大御本尊様を偽物呼ばわりするとは、何とも薄弱な邪難である。