元創価学会信者の邪難23
創価脱会 Blog
いよいよ論点は本尊儀へ移る。
御本尊書写は、法主一人の権能ではない。
唯授一人を否定したその後は・・・。
推して知るべし。
結局 本尊は誰が書写していいのかはっきり言えなくなるわけだ。
そのことの証明として
「北山の貫首が書いた本尊も駄目とは言い切れない。」という言動につながることに。
ようするに、誰が書写できて、誰ができないのか はっきりわからんということでしょう。