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諸宗破折第5弾 浄土宗編

 前回に引き続き念仏系寺院を破折する事に。
 浄土真宗大谷派の寺院2カ寺に行くが、住職がともに不在。
 他の念仏系寺院を探す事に。
 結局この日は浄土宗の寺院。
 住職が最初玄関に出たのだが、息子の副住職が対応。
 最初は、念仏の教えを聞くところからスタート。
 浄土三部経を依経にすることを確認したところからいよいよ破折スタート。
 無量義経を出したところ それは法華経を信じる人たちの言う事で私たちはその立場をとらないとのこと。
 五時八教を立て法華経の教えをもとに天台が像法時代に教え説いたが、結局民衆をみな成仏させる教えではなかった。
 法然が全ての民衆を救う教えとしてあらわしたのが、阿弥陀の教えである。
 天台の教えでは、ごく一部の人しかできない修行で、今の私たちには誰もできない。
 等々 念仏の主張をあらあら解説してくれるのであった。
 ここでもそもそも経典は、釈迦があらわしたものでない 訳した人の取る立場によって意味が変わることなどを理由に、自分たちに都合の悪い経典を認めようとしない方向性へ論を誘導しようとする。
 幸福の科学 前回の念仏の寺でもここは経験済みの展開なので、仏典結集の歴史的経緯から考えて経典の信憑性をここで云々することには無理があることで逃げ道をつぶす。
 
 これからも経典の信憑性を理由に反論してくる展開は、考えられそうです。
 しっかり破折する根拠を整理しておいた方が良さそう。
 一生成仏を願いながら、結局来世での成仏を願う 念仏の教えは、釈迦の説いた成仏 また法華経で説く成仏観とは論理の展開に大きな隔たりがあるのではないかと問うが、
 最終的には「それは法華経を信じる人たちが考えているだけで、私たちはその立場を取らない。」と逃げる。
 大集経、法華経に 方便権経の教えは真実の教えではない。
 また釈迦仏法の功力の限界を釈迦自身が説いていることを話すのだが、ここでもあくまでそれはそういう教えを信じる人たちの取る考え方で 私たちは違うの一点張り。
 どうもこのクリンチ状態の破折の仕方は、別の方法が必要と感じた。
 釈迦仏法がこの末法で功力を失うのであれば、どんな法によって衆生は救われるのかと問うので、
 やっと法華経の教えから大聖人様の仏法へ入る事に。
 それでも 私のお寺では念仏の教えで救われたという人が多くいると 反論してくる。
 結局 それは仏法について無知なだけで正しく判断できないからである。
 正しく法華経と念仏の教えの違いや釈迦仏法の何たるかを理解していない人の言であると話したところで粗方終了。
 ここでも 結局 破折されてくると あなたは何をしにきたのかと問われることになる。
 よっぽど 煙たいのでしょうね。
 前回同様 涅槃経や謗法与同の罪等を通して答えるのだが。
 ここは諸宗破折の原点の考えになるので、自分なりにもう一度考えてみた。
 世の邪宗は結局 あなたはあなた 私は私 それでいいでは無いか。
 自分たちがそれを正しいと信じているのだから無理に人に勧める必要はないと 破折されても素直に自らの教えの誤りを認めず 論からの逃走を図ろうとする。
 
 確かに どれだけ破折してもわからない人については、信教の自由。
 なに人たりと言えども保障されている基本的人権でもあることだし、どうぞ後はご自由にとは考える。
 もちろん 首に縄をつけてでも強引に信心しろとは言わない。
 
 だが私は大聖人様の仏法のすばらしいところは 結局今世で信じる信じないに関わらず 全ての人を救うことができると説くところにあると考える。
 
 それは逆縁とも説かれ、兎にも角にも、下種して行く事の大事を説かれているところにある。
 「信じる者は救われる」 確かにそれはそうなのだが、私たちは「信じない者も救われる」 ここに他の諸宗との根本的な違いがあると考える。
 大聖人様の下種仏法の大切さをあらためて感じるのである。
 
 だから諸宗破折は やり続けなければいけないと考えるのであった。

ABOUT ME
青木やすし
青木やすし
ブロガー/ web販売
昭和53年に日蓮正宗創価学会に入信・入会する。

小学校教師を勤めながら破門後の創価学会で男子部本部長のバリ活となる。
創価作成ニセ本尊の害毒に気付き脱会。

日蓮正宗法華講となる。

地元北海道はもとより東北・関東・四国から脱会相談を受けた創価学会員20名以上を脱会させ、日蓮正宗に帰伏させる。

札幌駅街頭折伏を10年以上続け、創価学会の害毒と日蓮正宗の正しさを訴える。

34年勤めた小学校教師を退職し、web販売で起業し現在に至る。
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