創価学会友人葬の噓
なんだか 創価学会公式ホームページ破折シリーズになってきました。
会員をあざむく
友人葬の噓を徹底的に破折。
近親でお亡くなりになられた方がいて、
創価の友人葬で故人を送り出されたのなら
こんな事実があることを知るべきです。
かく言う僕も祖母を学会の友人葬で送り出してしまった
苦い過去があります。
では、創価学会公式サイトからの友人葬の動画から
どんな主張をしているか見ていきましょう。
創価学会のお葬式 友人葬より
ご僧侶を呼ばなくていいのか?
の質問に対する回答として、
釈尊は自らの葬儀は弟子(僧侶)ではなく、在家にまかせないさい。と言われた。
というの僧侶を呼ばなくてもいい根拠の一つにしている。
では、日蓮大聖人様の葬儀のときは、どうだったのだろう?
あなたは知っていますか?
やっぱり 大聖人様の葬儀のときは、
弟子(僧侶)にまかせなかったと思いますか?
じつは・・・。
弘安五年(1282)十月十三日、辰の刻(午前八時頃)、すべての化導と相承を終えられた大聖人は、
弟子・檀越が唱題するなか、御年六十一歳をもって安祥として御入滅されました。そのとき、突如大地が
振動し、初冬にもかかわらず桜の花がいっせいに咲いたと伝えられています。
御本仏である大聖人の御入滅は、滅に非ざる滅であり、
滅に即して常住の妙相を示されるという甚深の意義をもっています。
明けて十四日、戌の刻(午後八時頃)に入棺され、子の刻(午前零時頃)に御葬送、荼毘に付され、
御灰骨は宝瓶に納めれて、御葬儀は滞りなく厳修されました。
この御葬儀の一切は、御遺命のとおり、日興上人が嫡々付法の大導師として総指揮を執られ、その様子を
日興上人自ら『宗祖御遷化記録』として記されています。
その後、日興上人は初七日忌の御法要を奉修され、同月二十一日早朝、御灰骨を捧持して池上を発ち、
同月二十五日に身延へ帰山されました。
「日蓮正宗入門」 編纂:宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 発行所:日蓮正宗総本山 大石寺
と 大聖人様の御葬儀は、
御遺命のまま お弟子の二祖日興上人様の大導師でとりおこなわれた記録がはっきりと残されています。
創価学会は、この事実はどのように考えるのですか。
末法の御本仏と仰ぐ大聖人様の御葬儀は、僧侶がおこなっているのですよ。
自分たちに都合の悪いことは全部会員には伝えず、
教えもしないなんてことでいいんですかね。
大聖人様の御葬儀は、御僧侶方でとり行われているのに、
会員の葬儀に御僧侶をお呼びしなくていいんですか?