蘭室の友

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対創価学会

ある創価学会非活壮年部の本尊儀を破折する②

 非活壮年部:  日蓮さんは御書で以下の様に書かれています。 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり」(御義口伝巻下 763ページ) 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり」(同御書)  さてここで考えなければならないのは、例えば鏡は何のために存在するのかといえば、そこに姿を映す為に存在するという事ですが、これは御本尊についても同じ事ではありませんか?  御本尊に向かい祈る中で感じる事は、その鏡に向き合う自分の「内面」にその本体があるという事。  つまり御本尊の「力」とは即ち「己心に備わる力」という事だと思います。  これは全て前出した日寛上人の文底秘沈抄で破折ずみです。   「この明鏡とは法華経なり」つまり 明鏡とは御本尊様就中戒壇の大御本尊様でのことです。   祈る根本対象である本尊が、つまり鏡が曇っていたり、ヒビが入っていたり、歪んでいれば どうでしょう。   そこに正しく姿が映りますか?それと同じです。創価学会版ニセ本尊は正しい境となりませんので、   明鏡とはなりません。   「力」云々については前述で破折済み。   どうですか? 彼の文末表現最後に「~だと思います。」とあくまで彼の我見でありましょう。   これで 日蓮正宗を批判しているのだから その慢心ぶり 開いた口が塞がりません。

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