教義は変わるよどこまでも・・・
学会は時代とともに教義の解釈も
自分たちに都合のいいように変えてもいいんだって!?
・教義解釈の見直しを行うことは、当然のことである。
・したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。
「会則の教義条項改正に関する解説」(上)創価学会教学部 聖教新聞 1月29日付 4面
と 本門戒壇の大御本尊様を拝まない理由をこんな表現で説明しているんだけど。
じゃあさ、だからといって
三大秘法の「本門の本尊」の教義の解釈が
時代によって変わっていいってことにはならないでしょ。
それこそ ここは絶対変わっちゃいけない根本教義じゃないの。
時代とともに変わるって言ってる時点で もう終わってるわ。
そんなのどうやって拡大解釈してもいいって言ってるようなもんじゃない。
事実 今回の本門の本尊の定義も、
大聖人様ご直筆の本尊全部「本問の本尊」だなんんて言ってるからね。
末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、
それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、
等しく 「本門の本尊」 である。
ああそう じゃあ 創価学会では、
本門の本尊は現存するだけで百三十数体あるってことだね。
すっげー。
いったいどの本尊拝めばいいんだろ。
身延や池上や保田妙本寺の本尊も
全部「本問の本尊」で同じ扱いなわけ。
じゃあね それこそ
創価学会には「本門の本尊」たる大聖人様ご直筆の本尊が一体でもあんの?
おかしいなー。
仏意仏勅の団体の創価学会に「本門の本尊」が一つもないなんて。
大聖人様は この平成の世で 仏意仏勅の創価学会のために
本門の本尊をのこさなかったわけね。
と突っ込まれたら困るわけ・・・。
それで・・・。
書写した本尊も「本門の本尊」でOKにしたんだね。
大聖人様直筆の本尊が無い創価学会には、
「本尊の本尊」がないことになるから
書写した本尊も付け加えた。
こんな とって付けたような教義の解釈を
今回の改正は、
「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、
日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。
というわけだね。
こんな 時代的要請に応えた?教義を
学会員は本当に信じてるんですか?
そうであるなら おめでたい。
さすが 「嘘も百回言えば真実になる」
と指導している創価学会だけあるわ。